2016年07月09日

食育

「食育」というと、10年ほど前に成立した“食育基本法”で広く知られるようになったので、比較的、新しい言葉と思われがちです。
実は、100年以上前に、軍医の石塚左玄が「体育智育才育は即ち食育なり」とその著作の中で述べた造語といわれています。
明治の世から使われている言葉なんですね。
現代では、「食育は、国民ひとりひとりが生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様々な知識と食を選択する判断力を楽しく身に付けるための学習等の取り組みを指す」そうです。
なんだか、わかったような、わからないような……。

以前、このブログでも話題にしたイチゴ農園の出来事。
それは、イチゴの先っぽだけ食べて他の部分は捨ててしまう家族の話しでした。
写真とともに、このイチゴ農家の悲痛な叫びを紹介しました。

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残念ながら、その後も、同様の行為は減っていないそうです。

文科省のお役人が机の上で考えた小難しい教育法や、硬直した教育現場では有効な食育はできていないんだろうなあ。
(イチゴ農園の件の家族のバカ親を見ると、食育というより、それ以前にモラルの問題という気がしますが、、、、)



さて、そこで、今日はアメリカ人の友だちから教えてもらったアメリカの授業を紹介します。
先日はラジオでも話題になったそうですよ。
みなさんは、どう思いますか?

■いっこうに減らない給食の食べ残し。
「食の大切さを教えることが大事」と、アフリカや中米、中東アジアの貧困にあえぐ子ども達の現状を学習しました。
(ここまでは、日本も米国も同じ発想の授業でした。)

○日本:給食の前に先生が話します。
「授業で勉強したように世界にはご飯を食べたくても食べられない子ども達がたくさんいます。
みなさんはこうして美味しい給食をお腹いっぱい食べられます。
それって、すごく幸せなことですよね。
そんな可哀想な子ども達のことを考えれば、食べ物は無駄にしてはいけません。
みなさん、残さず食べましょう!」

でも、やっぱり食べ残しは無くなりませんでした。

kyushokujpn.jpg



○アメリカ:給食の前に先生が話します。
「今日から1週間、給食の前にクジ引きをします。
もし、アフリカが、このクラスだったら、
20人は食べられません。8人はパン1切れ。22人はいつもの給食です。
みなさん自身が、アフリカの貧困を経験してください!」

生徒は、給食を食べる生徒の隣で空腹を我慢しました。
それ以来、給食の食べ残しは無くなりました。

kyushokuusa.jpeg


なんで、日本では、アメリカの授業のような発想ができないのでしょう?
「給食は一律でなくてはならない。」
「食べらなかった生徒の親がクレーマーだったら……。」
もしかしたら、“できない理由”ばかりを挙げていないだろうか。
もしかしたら、“前例が無い”ことを言い訳にしていないだろうか。
生徒の方をきちんと見ていないんじゃないだろうか。



100年も前に先人は、こう記述しています。
「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも食育がさき。
体育、徳育の根本も食育にある。」(村井弦斎『食道楽』)



posted by るしあん at 22:00| Comment(0) | 日記