2017年01月16日

雪、、、、


きのうの日曜の朝、目覚めると一面、銀世界。
予報では、群馬のここら辺は、曇りで日中少し雪が舞う程度だったのに、、、、
受験生たちは大丈夫だったのかなあなどと心配しつつ、あわててダンスコを用意してカフェに行きました。
「こんな日は、昼間っからゆっくり雪見酒でも飲みたいなあ」
飲兵衛特有の欲求を抑えつつ、玄関アプローチの雪かきをしたのでした、、、、


雪見酒?
もちろん、帰宅してから晩酌をいただきました。
それもチョット風流に!
お酒は、お客様からお年玉にいただいた『獺祭(だっさい) スパークリング』。
これを日中、雪に埋めてキンキンに冷やしておいたのです。
肴はなめた(“舐めた”のではありません、“ババガレイ”)の煮つけ。

いや〜、いくつになってもお年玉は嬉しい(^u^)V


dassaisparkling.JPG



日本酒が恋しいのは、雪のせいばかりではなく、実際、寒の内の今時分が美味しいお酒が出回る時期だからなのかもしれません。
この時期の限定出荷の銘柄には結構美味しいものが多いですよネ!!



ところで、これが今日、午前10時のランです。
暖かい日の光を受けて、雪はほとんど溶け切りました。
わんちゃん達も元気に走り回れます。

yukidokerun.JPG

みなさまもどうぞ愛犬を連れて遊びに来てください。
みなさまのご来店をお待ちしております。



posted by るしあん at 13:30| Comment(0) | 日記

2017年01月14日

荒れ観音


今日は地元、矢落ち観音さまの初縁日。
“荒れ観音”と異名を取るほど、なぜか毎年1月14日は天気が荒れるんです。
今日は今シーズン一番の寒気で、時折、チラチラ雪が舞い、冷た〜い風が吹いていました。
観音様に詣でる人達は皆、寒さに震えていました、、、、

サラ・ミラは寒さなど物ともせず、元気にお参り。
チョコバナナやお好み焼きを嬉しそうに頬張っていました。


zaru.jpg


私が子どもの頃は今よりずっと賑わっており、毎年、縁日が楽しみで仕方なかったなあ。
我が家では小正月に親戚中が集まって宴会をしていたので、元日より、むしろこの時期の方がお年玉がいっぱい集まったのを覚えています。
子供心に一升瓶がゴロゴロ転がっていたのも記憶にあるんだから、我が一族は酒豪ばかり揃っていたんでしょうね。
可愛がってくれた伯父・叔母は皆、鬼籍に入ってしまいましたが、今日はそんなおじさんたちを思い出す貴重は一日でもありました。



先祖や私が縁日に出かけたように、今日は孫たちがでかけ、そしていつかはサラやミラの子どもやその子どもたちも参拝に出かけるのかなあ。

こうして、命はつながり、文化は受け継がれていくんだろうなあ。



posted by るしあん at 20:45| Comment(0) | 日記

2017年01月07日

エイの飛ぶに似たり群馬県


お正月休みで、サラ・ミラと久しぶりに“上毛かるた”で遊びました。
保育園でもすでにかるた遊びをしているらしく、幼少期から“上州人”として育つんだなあと、妙な感心をしてしまいました。
2年前の今頃は「“群馬住みます芸人アンカンミンカン”のネタを10倍おもしろくする講座」と銘打って、るしあんで私が県外出身者の方に上毛かるたを教えたんだっけなあ。
なつかしい〜。
そのアンカンミンカンの群馬テレビの冠番組「アンカンミンカンの“カラギリ”」も昨年末に最終回を迎えてしまって残念で仕方ありません。


jomo007.jpg


さて、“上毛かるた”に話題を戻しますが、今、毎日新聞の県版で「上毛かるた異聞見聞録」が特集でシリーズ化されています。
誕生秘話や、かるたに詠まれた街の昔と今、あるいは詠まれることのなかった偉人とその背景などなど、興味深い話しばかりなんです。

私が最も「へえ〜」と驚いたのは、これ!
なんと、最初に読まれる札の「つる舞う形の群馬県」、公文書的には群馬の形を表わすものとして「エイが泳ぐ形をしている」というのが一番最初に登場した説明なんだそうです。
(明治16年『群馬県統計書』「地勢」の項目)


jomo002.jpg


「海無し県の群馬でなんで?」
と、県民だれもが疑問に思うところ。
実は、初代県令“楫取素彦(かとりもとひこ)”はじめ、明治維新期に政治の要職には長州出身者が多くありました。
そして、その山口県は、全国有数のエイの水揚げ量を誇りました。
鶴よりエイの方が身近だったこともあり、エイに例えられたのはごく当たり前のことだったようです。


『地形殆ント海鷂魚(かいようぎょ)ノ東南ニ飛フニ似タリ』
大正3年までの30年間、これが県の公式見解。

では、なぜ“つる舞う形”に変わったか?
実は、明治初期から学校で歌われた「上野唱歌(こうずけしょうか)」では「県は鶴の形」と歌われており、県民にはすでに馴染みの表現だったのです。
こうした教育を受けた子ども達が成長し県の中枢に就くようになっていきました。
そして、鶴舞う形を取り戻したのです。

つまり大正4年とは、維新政府(長州)のお仕着せ行政を「県民主体」に転換させた重要な歴史の1コマなのです。


たかが、エイが鶴に変わっただけなのに、その背景にはいろいろな物語があるんです。
こんな歴史を知って、“上毛かるた”をすると、なんか感慨深いものがありますよ!!

jomo003.jpg

posted by るしあん at 20:00| Comment(0) | 日記