2017年01月07日

エイの飛ぶに似たり群馬県


お正月休みで、サラ・ミラと久しぶりに“上毛かるた”で遊びました。
保育園でもすでにかるた遊びをしているらしく、幼少期から“上州人”として育つんだなあと、妙な感心をしてしまいました。
2年前の今頃は「“群馬住みます芸人アンカンミンカン”のネタを10倍おもしろくする講座」と銘打って、るしあんで私が県外出身者の方に上毛かるたを教えたんだっけなあ。
なつかしい〜。
そのアンカンミンカンの群馬テレビの冠番組「アンカンミンカンの“カラギリ”」も昨年末に最終回を迎えてしまって残念で仕方ありません。


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さて、“上毛かるた”に話題を戻しますが、今、毎日新聞の県版で「上毛かるた異聞見聞録」が特集でシリーズ化されています。
誕生秘話や、かるたに詠まれた街の昔と今、あるいは詠まれることのなかった偉人とその背景などなど、興味深い話しばかりなんです。

私が最も「へえ〜」と驚いたのは、これ!
なんと、最初に読まれる札の「つる舞う形の群馬県」、公文書的には群馬の形を表わすものとして「エイが泳ぐ形をしている」というのが一番最初に登場した説明なんだそうです。
(明治16年『群馬県統計書』「地勢」の項目)


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「海無し県の群馬でなんで?」
と、県民だれもが疑問に思うところ。
実は、初代県令“楫取素彦(かとりもとひこ)”はじめ、明治維新期に政治の要職には長州出身者が多くありました。
そして、その山口県は、全国有数のエイの水揚げ量を誇りました。
鶴よりエイの方が身近だったこともあり、エイに例えられたのはごく当たり前のことだったようです。


『地形殆ント海鷂魚(かいようぎょ)ノ東南ニ飛フニ似タリ』
大正3年までの30年間、これが県の公式見解。

では、なぜ“つる舞う形”に変わったか?
実は、明治初期から学校で歌われた「上野唱歌(こうずけしょうか)」では「県は鶴の形」と歌われており、県民にはすでに馴染みの表現だったのです。
こうした教育を受けた子ども達が成長し県の中枢に就くようになっていきました。
そして、鶴舞う形を取り戻したのです。

つまり大正4年とは、維新政府(長州)のお仕着せ行政を「県民主体」に転換させた重要な歴史の1コマなのです。


たかが、エイが鶴に変わっただけなのに、その背景にはいろいろな物語があるんです。
こんな歴史を知って、“上毛かるた”をすると、なんか感慨深いものがありますよ!!

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posted by るしあん at 20:00| Comment(0) | 日記