2020年12月24日

星空観察B


昨日は西洋の星空観測の話しでしたので、今日は日本の話しを……


我が日本でも天体観測技術は古くから発達していました。
かの安倍晴明も実は天文学者といえるほどの観測技術と占星術の知識を有していました。
映画などでは妖術を使う陰陽師としてちょっとおどろおどろしく描かれていますが、実体はかなり違うようですね。

東京大空襲で焼けてしまいましたが、晴明が書いたとされる星座図(格子月進図)がすごいんです。(かろうじて写真が残っていたのが不幸中の幸いでした。)
格子月進図は、縦軸に1度ごとに線を引いた、いわば方眼紙の上に星と月の動きを書き写しているんです。
現在の星座図と比べても相当高い精度だそうです。



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その晴明が“星の動き”を利用して大事件を起こします。
これも諸説あるようですが、藤原兼家(ふじわらのかねいえ)は晴明と共謀してクーデターを画策します。
これが世に言う『寛和(かんな)の変』です。
時の帝、花山天皇が元慶寺を訪れます。随行したのは兼家の息子道兼(みちかね)。
途中、わざと安倍晴明邸の前を通る道を選びます。
そこで、晴明は一行が屋敷の前に来た時に大声を上げたのです。
「どうしたことだ! 天変だ! 今しがた退位を示す天変が起きた。
すぐに内裏に参じて、奏上しなければ!」
そして、花山天皇は元慶寺に到着したとたん、突如、出家して退位してしまいます。
その頃、内裏では兼家が待機しており、花山天皇の出家の報が届くやいなや、自分の孫を即位させ「一条天皇」となすのです。

この時の晴明が“天変”とした星の動きは、「木星がてんびん座α星に異常接近した」ことと言われています。
実際、コンピューターで計算してみると、寛和の変が起きた寛和2年6月22日未明は、木星とてんびん座α星は0.5度まで接近していたことがわかります。

つまり、晴明は卓越した天体観測で、星の1度以下の動きまでも見逃さない技術を持っていたのです。

さらに言えば、晴明は観測によって木星の公転周期が12年ということも知っていたはず。
ということは、寛和2年6月22日に天変(木星とてんびん座α星の異常接近)が起きることを予(あらかじ)め知っていたことになります。



『寛和の変』は、「花山天皇の“突然”の出家、退位」などではなく、「天体観測を用いて“用意周到に”練られた陰謀」だった―――



せっかくのクリスマスの夜なのにコロナで外出できないのなら、今宵は庭に出て星空を見上げてみませんか。

キリストや安倍晴明に思いを馳せて星を眺めるのも一興ですよ!!!





posted by るしあん at 21:44| Comment(0) | 日記