2021年07月25日

自由って何だろ?


今日もガザの話しを。

前回は、聖書の時代にはガザは「ペリシテ人の土地」と呼ばれた話しを書きました。
では、今は何と呼ばれているでしょう?

答えは、『天井のない監獄』
イスラエルによる占領が続き、パレスチナ自治区となって四半世紀も経った今でもガザの住民は外部との往来を制限されています。
外に出る自由を奪われている様は、まさに監獄そのものなのです。



みなさんは、「ガザ最速」の女性ランナーのイナス・ノファルさん(20)をご存知でしょうか?
東京オリンピックが始まり、共同通信で彼女の記事が配信されたので地方紙で知った人もいるかと思います。
ガザ最速と言われながら、ガザ境界を管理するイスラエルが渡航許可を出さないため国際大会への出場ができないそうです。
五輪代表の選考の場にさえ立てず、「オリンピックに出たい」という彼女の夢はかなうことはありません。
彼女は、わずか16歳の時の800mレースで大学生や大人を圧倒し、国際的にも注目されドイツ等の国際大会からオファーを受けましたが、参加できませんでした。

イスラエルはなぜ彼女にそんな嫌がらせをするのか。
一説によると、どうも「世界の舞台でパレスチナの旗が掲揚されるのをイスラエル政府が嫌っているから」と言われています。



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冒頭、パレスチナ自治区となって四半世紀も経ったと書きましたが、世界が驚いたオスロ合意は1993年夏のこと。
イスラエル、パレスチナ双方と関係が良好だったノルウェー政府が尽力して、対話が実現、ついには合意に至ることができました。(合意内容は略します。)
ノルウェーのホルスト外相が陣頭指揮を執りましたが、双方の過激な勢力を抑えるために内密に交渉を続けたそうです。
オスロの地で、クリントン大統領の仲介でラビン首相とアラファトPLO議長が握手をかわす姿に、ようやく平和が訪れると世界が期待をしました。


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翌年にラビン首相はヨルダンとの平和条約にも調印。
ラビン首相はアラファト議長とともにノーベル平和賞を受賞することとなるのですが、国内の国粋主義勢力(右派過激派)の反感は増大していきます。

そして、、、
1995年、テルアビブで催された平和集会に出席中に、和平反対派のユダヤ人青年に銃撃され暗殺されてしまいます。
これにより、イスラエル国内の世論は一気に右傾化。
2006年7月にイスラエル軍がガザ地区・隣国レバノンへ侵攻しました。
アラブ圏ではイスラエル軍のこの一方的な軍事侵略をもって、オスロで合意した和平への期待は事実上崩壊したとの声明を出しています。




私たちが中東公演でシリア、レバノンを訪問したのは1998年のことでしたが、ゴラン高原を遠く見渡せるレバノン側ではいたる所で戦車が路上駐車していて、異様なまでの緊張感に包まれていました。
ヒズボラが勝手に作った検問などもあり、紛争地帯の生々しさを目の当たりにしました。
恐怖を“肌で感じた”のは生まれて初めての経験でした。



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今、思うこと、それは、あの時感じた恐怖を孫たちには絶対経験させたくない、ということ。




華やかなオリンピックの陰で、出場の機会さえ与えられないアスリートもいることを忘れてはならない。

自由を奪われた人たちがいることを忘れてはならない。




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posted by るしあん at 22:21| Comment(0) | 日記