2021年07月26日

憎しみって何だろ?


絶えることのないイスラエルとパレスチナの紛争。
イスラエルとパレスチナ双方とも愛する家族や友人を傷付けられています。
戦闘で父親を失った少女は言います。
「将来はお医者さんになってお父さんみたいに怪我をした人を助けたいの。」
同じく戦闘で父親を失った別の少年は言います。
「敵を憎むのが僕の役目。いつか軍隊に入ってお父さんの仇を討つんだ。」



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喪失経験を希望で埋め合わせる人もいれば、憎悪で埋め合わせる人もいるのです。
もし私だったら、、、
愛する家族を傷つけられたら、私ならきっと後者。傷つけた奴をブチ殺すまで憎み続けるだろうなあ。
もし貴方だったら、、、
どうしますか?




毎日新聞「火論」で大治朋子記者が、紛争学の専門家の見解を紹介していましたので、そこから引かさせていただきます。

憎悪はそれを抱く人の血となり肉となりやがて信念やアイデンティティーまでも作り上げるのです。
そうした人々は敵を憎むことが自己の存在意義(=アイデンティティー)にもなります。
しかし、それは皮肉にも、敵に依存して生きていることに他ならないのです。
つまり、和平は自分自身を失うのも同然で受け入れることが困難になってしまいます。
パレスチナとの和平を推進したラビン首相を暗殺したユダヤ人の青年もそんな一人だったのかもしれない、、、




もしかしたら、イスラエルとパレスチナは聖書の時代からこの方、憎悪という形でお互いに依存し合っているのだろうか。
暗殺されたラビン首相のように、すべてを覚悟のうえで命がけで和平に挑まないかぎり、憎悪をたっぷり含んだ市民のアイデンティティーを書き換える作業は“果てしない道のり”なのでしょうね。
反対に、トランプやネタニヤフのように紛争をたきつける演説なら“たった数分”で足りてしまうのです。



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今は「平和の祭典」の真っ最中。
視点を変えて、憎むとはどういうことかを考えてみることで、「平和」とは何かを知るのも大事なことかもしれません!!






posted by るしあん at 22:46| Comment(0) | 日記