先日、JAから150円の振り込みが、、、
うん!? 何だこれ?
と思っていたら、肥料の補助金(購入額割合)で、国の営農家への“ウクライナ戦争による急激な肥料高騰”に対する援助でした。
私みたいなミニマム農家で、肥料は有機肥料を使い化学肥料をほとんど使っていない栽培では、肥料の値上がりは財布には痛いけど家計を直撃するまでではありません。
百姓仕事の合間に「JAさん、いただきます」といいながらペットボトルのお茶を1本買いました (^_-)-☆
しかし、農業で生計を立てている方には笑い話では済まされません。
肥料の高騰、農機具やハウス用の燃料の高騰などは死活問題です。
補助金は有難いのですが、微々たる額じゃ焼け石に水です。
1日も早く、ウクライナやロシアからのリン酸アンモニウム、塩化カリウム、尿素等の輸入が元に戻らないと、、、

意外と知られていないのですが、かの宮沢賢治は、岩手県南部の「東北砕石工場」という会社で技師として働いていたことがあるのだそうです。
製品は農業用肥料の炭酸石灰。
賢治は営業マンも兼ねていたので、東北各地を巡回してセールスをしていました。
ところが、文才はあっても口ベタなのか、会社の報告書には
「一つも売れず空(むな)しく帰郷」
と残されています。
当時(1930年代)の東北はいもち病と冷害にたびたび襲われていました。
訪問先で賢治は肥料の大切さを訴えて回ったそうです。
そして、同時に農民に栽培を奨めたのが寒さに強い稲の『陸羽132号』。
賢治が立ち寄った陸羽支場で、訪問の10年前に生まれた稲種ですので、満100歳を迎えた品種ということになります。
賢治が推進したということもあって、東北では『陸羽132号』は岩手県で生まれたお米と思っている人も多いようですが、れっきとした「秋田県生まれ」。
「日本初の人工交配品種」で、この成功があったからこそ、今、私達は美味しいお米を食べられるようになったと言っても過言ではありません。
ちなみに、『あきたこまち』は『陸羽132号』の“玄孫(やしゃご)”なんですよ!
賢治の詩に「いかにも強く育っている」と生育ぶりを喜ぶ一節があるのですが、これは『陸羽132号』を称えている詩だと言われています。
昭和東北大凶作では被害が少なく「東北の救世主」と呼ばれましたが、今では酒米として栽培されるだけになってしまいました。
しかし、うれしいことに生誕100年を記念した『サキホコレ』が新たに誕生しました。
秋田に旅行した際は、『陸羽132号』の日本酒を呑み、『サキホコレ』の新米を堪能してみてはいかがでしょう!!!
『サキホコレ』も100年語り継がれる稲として名を残してほしいなあ!

そう言えば、十数年前に義父が吉岡の地で『あきたこまち』を作ったのですが、期待したほど美味しくできずガッカリしたことがあります。
『あきたこまち』の美味しさは東北秋田の気候の下で栽培してこそあの味になることを実感しました。
あれ一度だけで、実家も『コシヒカリ』一本でやっています。
やはり、ここ吉岡では気候的に『コシヒカリ』が一番合っているようです。
東毛地区では群馬県品種『ゴロピカリ』が美味しくできるようですので、機会があれば県産米『ゴロピカリ』も是非、召し上がってみてください!!