私は俳句の夏井先生の辛口添削が好きで、毎週欠かさず「プレバト」を見ています。
先日お亡くなりになった三遊亭円楽(六代目)さんも名人の一人でしたが、番組内で故歌丸師匠を読んだ一句が、、、
< 老いてなほ 色変えぬ松 芸の道 >
紅葉が盛りの山にあって緑を頑固に一途に守り通す松を芸一筋の師匠に例えた句で、俳句の素人の私でも「いい句だなあ」と思いました。
夏井先生の直しはこう、、、
< 色変えぬ松 高座に遺(のこ)す 扇子(かぜ)一本 >
あまりに素晴らしい先生の添削に、思わず円楽さんは「素晴らしい! 私の辞世の句にする!」と叫んでいました。
それから、数か月後、本当に円楽さんは旅立たれてしまいました。
私もこの句が大好き。
落語好きということもあり、この句をカンターに貼り早過ぎる死を悼んでいます。

四代目橘家円喬は病床で「冬の月は凄(すご)いね」とつぶやき、
< 筆持って 月と話すや 冬の宵>
と辞世の句を詠みました。
凛(りん)と澄んだ夜空に、青白く輝く月が人の世を見下ろす、、、
明治の名人は、まるで月を相手に一席演じる心境を迎えたかのよう、、、
円喬は、一晩に寄席を4つ掛け持ちするほど人気を博した落語家だったそうです。
円喬が終わると目当ての客が帰ってしまい、ハネる(終演)状態になってしまいました。
そこで着いたあだ名は、
『円喬の四軒バネ』
なんともすごいエピソードです。
さらにすごいエピソードも残されています。
円喬が得意とする「鰍沢(かじかざわ)」。
それを楽屋で聞いていた若き日の五代目古今亭志ん生は、ザーッと川が流れる情景にさしかかると、「外で雨が降ってきたか」と勘違いしたそうです。
「『人の芸が自然現象に匹敵する』そんな瞬間を師匠円喬に見た」と志ん生は語っているのです。
はかないのは人の命。
慕った師匠の死を旅先で知った志ん生は「胸の中に火のついた丸太ン棒突っ込まれて、えぐられたような気持」で泣いたそうです。

群馬を愛してくれた円楽さんは、本県前橋市元総社町の「曹洞宗釈迦尊寺」に眠ることになっています。
半世紀ほど前に釈迦尊寺に五代目のカバン持ちで訪れたのが縁だそうです。
そして、20余年前、円楽さんは同寺山崎住職の得度を受け僧侶になっているんです。
僧名は「会圓生」。
五代目の師匠である「圓生」の名跡を僧名にするなんてなかなか粋ですよね。
四十九日は11月17日。この日に円楽さんは前橋市民になります。
前橋の観光大使を務める円楽さんは、茶目っけたっぷりに、
「死んだら、前橋市民になるよ。」
と、山崎住職と約束していたのだとか、、、
冬を迎え、月が明るい宵には、お墓参りに行こうかなあ。
< 冬の月 寂寞(せきばく)として 高きかな > 日野草城
冬の月、、、
人々の喜びや悲しみを超越したその光は、清らかにまっすぐと心に届きます。
静謐(せいひつ)を愛した晩年の草城は、円喬のように月と話したのだろうか。
悩み多き貴方、一日の雑念を月に洗い流してもらってはいかがでしょう。
円楽さんのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます ――合掌――