2023年02月25日

受け取る


マイナカードが届きました。
面倒臭くてこれまで作ってこなかったのですが、マイナポイントに目がくらんで、、、(+_+)
というのは冗談で、確定申告に間に合わせるために作りました。
おかげで、ポイントを利用して映画を観たりポップコーンを買ったりできて、ありがたく趣味に使わせてもらっています。

スマホ操作が苦手で、作る気にもなれなかったのですが、ドコモショップで申請の手伝いをしてもらえるということで訪ねたのです。
担当してくれた係の方がとても親切に教えてくれ、私でもどうにか申請ができました。
モタモタしながら、、、おしゃべりしながら、、、
私「ありがとね。娘に聞いても教えてくれないし、、、」
妻「うちの子もあなたみたいにやさしいお譲さんだったらよかったワ。」
担当の子も最初はお客様、奥さまなんて話していたのが、だんだん、おとうさん、おかあさんになって、、、
「じゃ、先におとうさんの写真を撮りますね。次におかあさんを撮ります」なんて具合。
きっと接客マニュアルには“お客様と声掛けするように”となっているのでしょうが、一生懸命対応するうちに自然に“おとうさん”“おかあさん”になっちゃったんだろうなあ (*^^)
胸に初心者マークを付け、懸命に説明する店員さんの姿がなんとも微笑ましかったです!



ところで、先日のこと、、、
映画の帰りに仕入れに寄った八百屋さんで、、、
「おとうさん、今日はイチゴが特売で安くなっているから買ってって!」
オイオイ、どう見たって俺より年上だろう。
じじいにおとうさん呼ばわりされる筋合いはねえよ、なんて心の中で思うのでした。
まっ、こっちはこっちで、いつもの酒屋をおやじさん呼ばわりしてるんだから他人の事は言えないんですけどね(^v^)

TPOで、同じ呼称でも受け取る側の気持ちは180度違うのですから、日本語はつくづくむずかしいですよね。



sijinisi00.jpg



詩人の石垣りんさんにこんな詩があります。
『かなしみ』という詩ですが、書き出しは、
「私は六十五歳です」。
転んで骨折したと嘆き、亡き両親にもらった身体を傷つけてしまって
「ごめんなさい」
と謝ります。
そして、結びはこう綴ります。
「いまも私はこどもです /
 おばあさんではありません」


石垣さんの『かなしみ』は共感を呼び、読者からたくさんの手紙が届いたそうです。
――他人から「母さん」「奥さん」と呼ばれることに違和感がある――と。

呼ばれる側が未婚、あるいは既婚でも子供がいない場合は嫌な気持ちになってしまうでしょう。
そもそも他人に見た目で勝手な判断をされる筋合いはないのですから。

秋田の地方紙が出版した『おばさん事典』には、「呼び方注意報」という読者の投稿が載っているのですが、やはり同じような違和感が綴られています。
「おばさん」「おばあさん」の呼び方に怒りをおぼえると。
「女性は自分では言うが他人にそう呼ばれるのは許せない」と実にきっぱりしています。


石垣さんの詩の「おばあさんではありません」には自身でも認めないという強い決意がにじんでいます。
自分が何者であるかは自分で決めるという決然とした思いが伝わってきます。



石垣さんは1920年生まれで、2004年に没しています。
『かなしみ』に寄せられた共感と、『おばさん事典』の「呼び方注意報」、時代は違えど“呼ばれ方に対する違和感”は同じようです。




私も銀行員時代は言葉づかいは丁寧だったのですが、今は普通に「そうだいのう」と相槌を打っています。
お客様の呼び方も気を付けなくっちゃ!

「垢ぬけたカフェの“オヤジ”」を目指して、親切・丁寧な言葉を使うようにするべえ!!








posted by るしあん at 22:05| Comment(0) | 日記

2023年02月24日

映画の話し


和太鼓が青春だった私。
和太鼓の魅力はなんといっても音を体感できること。
聾学校の子どもたちのチームは耳が不自由でも演奏をピッタリ合わせられます。
「他の演者の手の動きを見てたら叩くのが遅くなっちゃう。
音が骨に振動として伝わるし空気の震えがわかるから、それで音が合うんだよ。」
屈託の無い笑顔で、手話で説明してくれる生徒さんたちにただただ驚くばかり……。
まさに音を感じて演奏しているのです。
“音を感じる”ことは“音を聞く”ことを凌駕するのかもしれない、、、

以前、このブログで私が推した小説『蜜蜂と遠雷』も音を感じることができる小説で、読んでいるとホントにピアノが聴こえるよう。
そして、、、
音が聴こえるマンガとして絶賛されているのが『BLUE GIANT』(ブルー・ジャイアント)です。
読んだ人みんながジャズを、サックスやピアノ、ドラムの音を、感じることができるのです。



blugia00.jpg



さてさて、枕が長くなってしまいました。
今日の本題です。

映画『BLUE GIANT』を観てきました。
「最大の音量、最高の音質で最高のジャズを届けたい」との想いから映画化されたのですが、期待通り、ホント、最高に面白い映画でした。
最高の音楽を“体感”できます!!
「ジャズはあまり聴かないなあ」という方も、是非、映画館に足を運んでみてください。
ジャズに馴染みのない人でも楽しめます。
そして、音楽だけじゃなくストーリーも秀逸。
不可能と思われる目標に、3人の若者が必死に真摯に、そして激しく挑む青春群像劇なのです。
感動必至です。



数年前に『蜜蜂と遠雷』も映画化されたのですが、原作をブチ壊す最悪の出来でした。
一抹の不安を抱きつつ『BLUE GIANT』に行ったのですが、そんな不安はのっけから吹っ飛んで作品にグイグイ引き込まれました。
立川譲監督の手腕と、なんといっても音楽を担当した世界的ピアニストの上原ひろみさんの楽曲の凄さが、観客を一気に引き付けるからなんだろうなあ。
映画のために書き下ろしたそうで、クライマックスのライブシーンでは涙が止まりませんでした。
音楽が根幹の映画では、『ボヘミアン・ラプソディ』以来の“感動の涙”でした、、、



ユナイテッドシネマで観てきたので、今度は音響の違うイオンシネマで2回目の鑑賞をして来ようと思います。



貴方もぜひ観に行ってみて!
おススメです!!



bluegiant (9).jpg







posted by るしあん at 22:08| Comment(0) | 日記

2023年02月19日

石を積む、歴史を積む


地元の町議さんが力を入れているのが、吉岡町内の河川にあるデ・レーケ堤の保存と周知活動です。
町内を流れる川はほとんどが、榛名山麓に降った雨が伊香保、榛東から吉岡を通り利根川に流れ込みます。
榛名山東麓ひとつ見ても利根川の流域面積が日本一なのもうなずけます。
急峻な川も今は護岸工事や砂防堤によって氾濫や決壊もなく町民は安心して過ごせています。
これも先人たちが氾濫と戦い暴れる川を鎮めてくれたおかげです。
その歴史の1ページを刻むのがデ・レーケ堤なのです。



IMG_20230219_075256.jpg



明治時代、河川改修や砂防に貢献したオランダ人技師のヨハニス・デ・レーケは日本の川の急勾配に驚いたそうです。
対策の主眼は、激しい流れにどう対処するかでした。
越流や堤防決壊で生じる「外水氾濫」を防ぐために、濁流の荒々しさを抑えることに苦心したようです。

榛名山麓に見られる砂防堰堤群は、デ・レーケの指導を受けた内務省の宇佐美房耀、米倉直司の2人の技師が中心となって作られたものです。
巨石を使って石堰堤が整備されました。
それらは、今も氾濫を防いでくれているのですから、デ・レーケ堤がいかに優れているかが伺い知れます。

一部は土砂に埋もれてしまっていて、人の手によって急峻な勾配が改善されているとわからない場所もあります。
そこで、有志の方々が集まり「デ・レーケ堰堤クリーン作戦2019」を展開し、吉岡町を流れる自害川の自害沢9号堰堤の発掘や他号堰堤の清掃等を行いました。
この年を初回として毎年続けられる予定でしたが、運悪く翌年から新型コロナ感染症のパンデミックが始まりクリーン作戦は中止を余儀なくされているのです。

私は発掘の年、狭窄症の手術を受けてリハビリ中でしたので、翌年のコロナの自粛期間中に杖を突きながら見学してきました。
足が思うように動かないので川まで降りることはできませんでしたが、岸の上から見ても大きな石が緻密に組み上げられた様子がわかりました。



IMG_20230219_075549.jpg




明治・大正・昭和を生きた私の祖父は農業の傍ら利根川で石を運び出す職人だったそうで、遺影でしか知らない祖父の姿に思いを馳せながらデ・レーケ堤を眺めていました。
この堰堤の石のひとつひとつに祖父の大先輩たちの職人の思いが込められているんだろうなあなんて思うと、時代を超える物つくりの素晴らしさを実感できます。
後世に受け継いでいくために“保存”という努力は今を生きる世代の義務なのかもしれませんね。




ところで、、、
我が家の墓地には先祖代々の他にいくつも小さな墓石が並んでいます。
私の家は本家筋ではなく祖父が分家したので、いわば私が三代目なのに、なんで我が家にはこんなに墓石が多いのだろうと不思議でした。
幼少期に聞いた話しでは、石運びの職人の中には新潟、東北などの雪国からの出稼ぎの人やサンカと呼ばれるジプシーのような人も多く、故郷に帰れぬまま病死してしまう方がいたそうです。
仲間を無縁仏にするのは忍びないと、祖父が近所の住職に戒名を付けてもらって墓標を建てて供養したそうで、その墓石が並んでいるのだとか。
デ・レーケ堤を眺めながら父親から聞いたそんな話しをふと思い出しました。
本家の伯父貴はとうに鬼籍に入り、父は認知症でもはや満足な会話もできません。
もう少し若いうちに我が家の歴史を聞いておけばよかったと今になって悔やんでいます。

そういえばよく父が冗談まじりに話してくれたのが、祖父の友人の話し。
職人仲間で特に仲のよかったSさんという友人が「これからはこんな非効率な石運びをやっている時代じゃなくなる。俺と一緒に土木専門の会社を作るべえ」と誘ってくれたそうです。
農業が本業だった祖父はその申し出を断ったそうなのですが、Sさんは努力の末、なんと一代で群馬県一の土木会社を作りあげたのです。
Sさんの孫は国会議員となり引退した今は経営に専念して、「S建設」は現在も群馬の土木建築をけん引しています。

父いわく、我が家が気が小さいのは先祖代々だそうで、、、(*^^)v

あの時、じいさんが友人の誘いに乗って新しい事にチャレンジしていたら今頃どうなっていたんだろうなあ!?



私が度胸も商才もないのはじいさん譲りなのかもしれないなあ (=_=)



孫たちに、いつか、デ・レーケ堰堤を見せに連れて行こう。
そして、いつか、私が伝え聞いた祖父の話しを教えてあげよう。




歴史とは石を組むようにひとつずつ積み上げられていくのでしょうね―――







posted by るしあん at 19:43| Comment(0) | 日記