2024年02月24日

思いやるということ


私達が和太鼓の公演でシリアを訪れた時はパパ・アサドの時代。
軍を掌握している大統領の権力は強大で、いわゆる強権政治下にありましたが、市民生活は穏やかでした。
国境付近ではイスラエル軍との衝突は頻繁に起きていましたが、一応、平和は保たれていましたので、今にして思えばシリアがも最も安定していた時期だったのかもしれません。
私達は日本大使館が主催する文化紹介事業の一環として招聘されダマスカスで公演を行ったのです。
会場となったアゼム宮殿にはたくさんの市民の方々が来てくれ、子どもたちはステージに上がり私達の指導で楽しそうに一緒に演奏をしてくれました。



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私達を支えてくれたスタッフは大使館の職員さんの他に、大使館が雇ってくれた現地の方々でした。
その中でも特に和太鼓を運んでくれたクルド人の方々には大変お世話になりました。
宮殿内の狭い通路はトラックが入れないので重い桶胴太鼓を担いで搬入しなければならず、それを嫌な顔ひとつせずテキパキと運んでくれたのです。
「こんなの軽いよ!」なんて冗談を飛ばす笑顔が人懐こいのです。
最初は正直、屈強なヒゲ面にちょっとビビったのですが、話しをしてみるとみんなとてもフレンドリーでいい人達ばかり。
リハーサルの最中もセッティングの位置確認をしながら演奏を真剣に聞いてくれ、「エキサイティング!」「ビューティフル!」を連発してくれました。
リーダーのマルハバさんとはすっかり仲良くなって、私たちはみんな、彼のことを「マルちゃん」と呼んで頼りにしていたのです。



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公演から数年が経ち、パパが亡くなり息子アサド(バシャール・アサド)になったとたん政情は不安定化して内戦へと突き進んだのです。
ISはシリアの弱体化に乗じ勢力を拡大し、シリア北部・イラク北西部を占領して勝手に自治政府を開きました。
アサド親衛隊を含むシリア国軍と、反政府軍、そしてISが入り乱れて泥沼の戦争となったのです。
この戦時下に紛れて息子アサドはシリア北部のクルド人の居住区に化学兵器を使用し、罪のないクルドの一般人をサリンで虐殺したのです。
その後も化学兵器禁止機関(OPCW)や国連を無視し続け、首都ダマスカスにおいても化学兵器を使用しました。
大使館職員は命が脅(おびや)かされる事態となり、日本や諸外国はヨルダンなどの近隣諸国に退避し、大使館機能を移したのです。



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虐殺を逃れたクルド人の多くはトルコに越境して避難したのですが、非情にもトルコのエルドアン大統領はクルド難民を排斥したのです。
一部はトルコに残り、また一部はISが衰退した後シリア北部に戻り、そしてまた一部は諸外国へと逃げざるを得ない、、、そんな悲劇を生んだのです。

残念ながらマルちゃんや仲間のみんなの消息は全く分かりません。
生きているのかも、殺されてしまったのかも、知る術は無いのです。
ただただ生きていてほしいと願うだけです。




そんな私ですが、昨日の新聞記事は胸を締め付けられるようでした。
それは、、、日本の某県でクルド人の排斥運動が起きていることを伝えていました。
度を超す活動はもはや「ヘイトスピーチ」となっており「レイシズム(人種差別主義)」も起きかねないそうです。
しかも、自民党の某国会議員センセイがSNSでヘイトを煽っているのだとか。

どうしてこのような事態に陥ったのか背景がまったくわかりませんが、感情的にぶつかり合うのではなく、一度冷静になって相互理解を少しでいいから進めてほしいと願います。



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1枚目の写真の笑顔で太鼓を叩く子どもも、下の化学兵器(毒ガス)の犠牲になった子どもも、同じ国の子どもたちなのです。
わずか数年の出来事、、、わずか数年でこの笑顔が毒ガス治療の酸素マスクに覆われたのです。



戦争は子どもの笑顔を奪い、そして命さえも奪うのです―――





たとえ大統領であろうと、一介の国会議員であろうと、何びとにも子どもの笑顔を奪っていい道理はないのです。











posted by るしあん at 19:27| Comment(0) | 日記

2024年02月16日

ラプソディ・ツアー 2024



真っ白だ、、、
燃え尽きてしまった、、、




行ってきました。
『Queen +Adam Lambert Japan tour 2024』東京公演、千秋楽!!
50年の想いを込めて精一杯の声援を送ってきました( ^^)/~~~~キャーー



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今回は、私にとって特別なライブでした。
私がクイーンのファンになったのは、半世紀前、中学校1年生の時でした。
クイーンがデビューしてすぐ、その音楽に心奪われました。
お小遣いを貯めて買ったレコードを擦り切れるほど聴いていました。
ラジオの深夜放送にリクエストを書いたりして、“昭和の推し活”をしていたのです。

あれから50年、今回は、中学1年生になった孫のサラと一緒に行ったのです。
ファンになった頃は、まさか、50年後に同じ歳になった孫と一緒にクイーンのライブに行くとは夢にも思いませんでした。
なんか人生って不思議だなあ、、、感慨深い、、、
心から「解散せず50年に亘り活躍を続けてくれて本当にありがとう」と感謝の声援を送りました\(^o^)/。

私の影響で赤ちゃんの頃からクイーンを聴いているサラはいつの間にかクイーンのファンになっていて、今では毎日、ギターを掻き鳴らしています。
隣の席で目をキラキラ輝かせているサラが愛おしく感じました(^O^)



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開演の8時間も前にドームに到着して開場を待ったのですが、着席してビックリ!
なんと、花道の正面、ど真ん中の席だったのです。
バックネット側にステージがあって、マウンドor2塁の上の席って感じです。
同じゴールドチケットでもブロック分けされているので、結構、端の方もあるのですが、まさか、真正面で見られるとは。

50年もファンを続けているご褒美に神様が用意してくれたのだろうか……



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そして、大歓声のなかライブが始まったのです。
往年の名曲の数々をアダムが歌い上げ、時にやさしく時にシャウトして、、、
ブライアン・メイの踊るように華麗なギターも、ロジャー・テイラーの繊細で力強いドラムも健在で、、、
1曲目から涙が止まりませんでした。



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再び、来日してくれる日はやってくるのだろうか、、、

また、いつか、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、アダム・ランバートに会いたいなあ。



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― Special thanks to Mis. Leon's Mam ―

今回のクイーン・コンサートは、るしあんのお客様のレオン君ママにチケットの手配をしていただき、またライブもご一緒させていただき、大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。











posted by るしあん at 23:47| Comment(0) | 日記

2024年02月12日

ハマショー


今日はビックリ。
いつもご来店いただいているお客様が浜田省吾の熱烈なファンだったことが判明。
実は私も浜田省吾が大好きなのです。
その昔、“尾崎豊派か浜田省吾派か”なんて言われていた時でも、私は両方を聴きまくっていました。



そしてまた、お客様との会話のおかげで昔の記憶が蘇ることになったのです。
中東公演を前に、在シリア日本大使館の文化担当官から国際電話をいただき、
「公演パンフレットにタイトルを付けた方がカッコいいので、何か考えてください」。
メンバーから一任され、私が付けたのが「ON THE ROAD」だったのです。
決して、浜田省吾をパクったわけではありません。
「まだまだ旅の途中」「俺らは発展途上だゼ」という熱いパッションを込めて、そしてシリアの平原をキャラバン隊が行く古(いにしえ)の情景を思い浮かべて名付けたのです。



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こんなイメージですが、浜田省吾ならアメリカの大地を馬で走ってますもんね(*^_^*)

で、、、 当日、楽しみにしていたパンフレットを見て驚きました(;O;)
なんと、そのパンフレットはチーム名以外はすべてアラビア語。
「ON THE ROAD」はどこに行ったんだあ、、、



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数年前にこのブログで、ウインドウに飾ってあったサックスを見た時、“稲妻が俺の体駆け抜けて”、衝動買いしてきた話しを書いたことがあります。
あの時は女房にこっぴどく怒られました。
なにせ、吹奏楽部の娘のトランペットを買いに行きサックスを買ってきちゃったもんですから、、、




そういえば、数か月前、お客様から「ギターを始めたんですよ」と教えてもらったことがあったんです。
その時は「すごい」と驚いただけでしたが、今日の話しを聞いて腑に落ちました。

そっかあ、お客様も、通りのウインドウに飾ってあったギターを見た時、稲妻が体駆け抜けたのかあ!!



今日は“終りなき疾走”をするリアルな“露地裏の〈元〉少年”に会えた一日でした。











posted by るしあん at 23:36| Comment(0) | 日記