今日は初夏のような陽気の中をSLが疾走していきました。
わずか1週間前には雪の降りしきる景色にSLの写真を撮ったばかりなのに、、、
なんと今日は25℃に達し、夏日になりました。
ドッグランのチューリップは驚いたように次々に咲き始めています。
今年の桜は気温に翻弄されて気の毒ですが、もう間もなく私達の目を楽しませてくれることでしょう。

それにしても、今日の青空はなんて綺麗で広いのでしょう。
黄砂や春霞もなく透けるような青色でした。
晴天を見越してか、今朝の地元紙のコラムに歌人葛原妙子の短歌が紹介されていました。
葛原妙子といえば“現代の魔女”との異名を持つ戦後の歌壇を代表する歌人で、「見てはならぬものを見て、聞いてはならぬものを聞く」と評されています。
コラムに載っていたのが、この一首。
――落つるものなくなりし空が急に広し日本中の空を意識する――
空から落ちてくるものはなにも雨や雪とは限らない。
米軍機が頭上を飛び絶え間なく焼夷弾が降り注ぐ。
空を見上げるのは敵機が飛んでいないか、爆弾が落ちてこないかを見定めるため、、、
終戦を迎えようやく安らかな気持ちで空をのぞむと、、、
何も落ちてこない空は急に広がりを持ち始め、、、
日本中の空に平和が広がっていることが心に沁み亘っていくのです。
かつて、私はベイルートのホテルでこんな経験をしました。
夕刻、ホテルに入ろうとしたまさにその時、街中にけたたましいサイレンの音が響き、次の瞬間、バチーンとホテルの照明が消え、灯り始めた町の窓灯りも一斉に暗くなったのです。
信号の消えた交差点ではクラクションが鳴りやまず、、、
オロオロしながら空を見上げました。
「ミサイルや砲撃だったらどうしよう!? どうやって脱出すりゃいいんだ!?」
怯える私にドアマン(ベルボーイ)が笑顔で、
「心配ないよ。ベイルートじゃ電気供給が足りず停電が起きる前にサイレンで知らせるんだよ。停電なんてしょっちゅうサ。」
ダマスカスからベッカー平原を越えてベイルートに入ったあたりから、建物は爆撃で崩れ、弾痕が生々しい壁を至る所で見かけるのです。
路上駐車の戦車や機銃が付いたジープを見て、今は平穏でも明日はいきなり戦場となる地に居ることがヒシヒシと伝わってきました。
昼間、道中見たこの光景が恐怖として心に残っていたので、サイレンの音に身体が怯えて震えたのだと思います。
空襲警報と思い身体を貫いた恐怖は、今でも私を“サイレン嫌い”にしています。
あの時見上げた空の色や大きさはもはや記憶にありませんが、ミサイルや砲弾を探して空を眺めた経験は一生忘れることはないでしょう。

ウクライナやパレスチナの人々はどんな気持ちで今空を見上げているのだろうか。
見上げる空は暗く重くそして狭いのだろうなあ、、、
今この瞬間も子ども達は空襲を伝えるサイレンに怯えていることでしょう、、、
戦争のない日本で、青く広い空を見上げられる幸せ――
この空は広いまま子ども達に残してあげなければならないのです。
広い空を狭くしてしまう戦闘機を第三国(外国)に売る日本、、、 そんな日本に変えてしまうことに、あなたは何のためらいもないの、キシダさん?
その欲に曇ったメガネを一度綺麗に拭いて青くて広い空を見上げてみなよ!!