トルコ・イスタンブールでの3年ぶりとなるウクライナとロシアの直接協議は、停戦合意は進まず両国の埋めがたい立場の相違が顕著になっただけで何の成果もありませんでした。
ウクライナ側は権限を有したハイレベルな代表団を送り込んだにもかかわらず、ロシア側のそれは低レベルで限られた権限しか持っていなかったようです。
そもそもロシアはプーチンがすべてを決めているのですから、ハイレベルであっても進展は厳しかったのでしょうね。
ロシアはウクライナが戦闘停止を望むなら4州(ルハンスク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソン)から撤退してロシア領とすることを要求。
4州は2022年に違法合併を試みた場所であり、ウクライナとしては到底受け入れられる内容ではありません。

私は某紙の見出しに「4州」とあるのを見てドキッとしてしまいました。
眠気眼で朝刊を開いたものですから、4州を「4島」と読み違えたのです。
日本もロシアによる日本固有の領土の不法占拠が続いています。
80年にも亘り返還交渉は全く進んでいません。
あの手この手を試してみても、奴等が島と秋田犬を交換してくれる訳もなく、なんとかハウスで機嫌を取っても奴等はニコリともしないのです。
理性のある我々日本は軍事を用いて取り戻そうとはしませんが、この先もずっと(おそらく永遠に)核保有大国の横暴を甘んじて受け続けていくのでしょう。
地政学的には中国も同じですが、大陸国家は海に出たくて海洋国家を侵略してきます。
ロシアは氷に覆われる北方の港ばかりで、凍結することなく黒海に安定して出られるクリミア半島+4州はどうしても奪いたいのです。
ウクライナは、日本のような中途半端な妥協をすれば、永遠にクリミア半島+4州を失い内陸国家となってしまいます。
戦争が終わり豊かな穀倉地帯が復活しても世界に向けて輸出する港が無くなるのです。
私たちは遠い国の他人事として傍観するのではなく、自分事としてウクライナ紛争の成り行きを注視しなければならないのです。
さて、難しい話しが続いたので、ちょっと雑談を――
先日のイスタンブールでの協議会場は誰がどういう風にテーブルを並べたのだろう?
変な事が気になる私は、トルコの外務省職員が「上座下座はどっちだ!?」「ウクライナは大臣クラスでロシアは外務職員クラスだし、ウクライナが上座か!?」「いや〜、ロシアの方がでっけえし」「めんどくせえなあ。いっそのこと丸く配置して、席の上下を無くしちまおうぜ」などと、頭を抱える姿を想像してクスッとしてしまいます。
国家間の一大事の会議では、マスコミに報道されるかしこまった写真の舞台裏で、きっと事務方の“悲喜劇”が繰り広げられているのでしょうね。

これが冗談ではなく、本当に、テーブル論争が巻き起こった会談があるのです。
時は1968年、パリでのこと。
泥沼化していたベトナム戦争ですが、この年、アメリカ軍の北爆停止を機に“ベトナム和平に向けた「パリ会談」”が開始されたのです。
ところが、のっけからベトナム解放民族戦線(ベトコン)がどこに座るかで大揉めに揉めてしまったのです。
正方形にするか長方形にするか。
はたまた、円形がいいだの、いやドーナッツ形だのと、、、
なんと、テーブル論争に決着がついて本題の会談が始まるまでに“2ヶ月半”もかかったのです。
結局、テーブルは円卓の両側に長方形の机を置くことで双方が妥協したのです。
最初からこんなだったので、時間がかかりにかかり「パリ和平協定」が締結に至ったのは1973年、なんと実に5年もの時間を要したのでした。
この間、ニクソン政権の大統領補佐官だったキッシンジャーが北ベトナムと秘密交渉を重ねて、この功績が協定締結に結び付いたといわれています。
キッシンジャーはアメリカ軍の「名誉ある撤退」を果たしノーベル平和賞を受賞。
しかし、和平協定後も戦闘はなおも続き、実際に終戦を迎えるのは75年になってからのことなのです。

ウクライナ紛争はベトナム戦争の和平交渉のような長い長い時間をかけずに終息することを心から願っています。
今日もウクライナでは非戦闘員である市民が無辜の命を理不尽に奪われています。
元々はロシアの国際法違反で始まった戦闘です。
ロシア寄りに映るトランプに「国際正義がないがしろ」にされては絶対にいけない!
米露首脳の合意で一件落着させてしまえば“歴史の汚点”となることでしょう。