2019年05月21日

単純化に潜む罠A


昨日のブログの続き。

昨日は、車の便利さに慣れ過ぎてしまい、“畏れ(おそれ)”を忘れて、大事故という思わぬかたちで“報復”されることを書きました。

これは車に限ったことではありません。
「効率や快適さの追求」が、科学技術や社会システム発展の原動力となり、核エネルギー技術も進歩を遂げてきました。
安価で効率的な電気ということで、消費者も原子力発電を享受してきました。

そして、便利さに慣れて、畏れを忘れた時に、大きな報復を受けてしまいました。



さて、今日の「単純化に潜む罠」に関する話題は、原発事故の話しではなく、東日本大震災や福島原発事故を伝えるメディアについてです。

イギリス「ザ・タイムス」リチャード・R・パリー東京支局長の意見に、ハッと気付かされました。

パリー支局長によると、日本のメディアは、東日本大震災の報道が「災害が人々を結束させ、絆が強まる」というスタンスに“単純化”してしまったというのです。
それは取りも直さず、私たち日本人が「絆」という物語を好み、争いごとを嫌う国民性ゆえに、マスコミは視聴者・読者が好む報道しかしないということなのだそうです。



pali01.jpg


パリー支局長は、その著書(「津波の霊たち/3・11 死と生の物語」早川書房)の中で、児童108人中74人が亡くなった石巻市立大川小学校の問題について深く掘り下げています。

「大川小は津波の避難教育がなおざりだった。
しかも、3月11日は校長不在。
決断が遅れ、他校に比べ、際立った被害者が出た。」

「管理責任をめぐり遺族の対応は割れた。
児童23人の遺族が県と市を相手に損害賠償請求訴訟を提起。
裁判所は過失を認め、14億円超の賠償を命じた。」

日本のマスコミ報道はここまで。
日本のメディアは“被災者を励ます”という発想のため、徹底究明の姿勢が弱いのです。


著書は、
「半面、裁判闘争は行政を組織防衛へ走らせた。
解雇されたり、処分を受けたりした公務員はゼロ。
過失が明らかなのに校長へ昇格した者もいた。

:。」
と、続いていきます。


支局長いわく
「日本のメディアは攻撃的(aggressive)ではないし、対決的(confrontational)でもない。
それが日本のメディアの弱さ。」
しかし、
「それは個々の記者の責任というより、対立を嫌う日本社会そのものに根差しているように感じる。」



私は、“対立を嫌う日本社会”は決して悪いわけではなく、むしろ日本人の美徳とも感じます。
ただ、それがマスコミの「複雑な出来事の過度の単純化、通り一遍の表層的な理解による報道」を招くことは、非常に危険だと思います。

誰かが「ニュースは信じるな。その向こうにある真実を見ろ!」と言っていましたが、それは、あながち的外れなことではないようです。



ともかく、単純化された大きな流れに疑問を持たずに迎合してしまうことだけは止めた方がいいようですね。
ちょっと立ち止まって、足元と行く先を見据えてから、歩み出すクセを持ちたいものです。




余談ですが、、、
“対立を嫌う日本社会”では、“二大政党制”が根付くのは難しいんだろうなあ。
「“戦争”で北方領土を取り戻す」なんて息巻く酔っ払い議員をクビにできない与野党のセンセイたちだもんなあ /(-_-)\




(参考:毎日新聞「余禄」「風知草」)



posted by るしあん at 23:41| Comment(0) | 日記
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