2023年08月20日

100年


うちの本家の大伯父はたしか大正3年生まれだったと思います。
生前、よく話してくれたのが“関東大震災”の話し。
お昼に起きた大地震によって群馬のこの辺りも揺れを感じたそうです。
夕方になって東京が壊滅的な被害を受けたらしいとの情報が聞こえてきて、まだ小学生だった伯父は近所の火ノ見櫓に登りました。
そうしたら、南の空が炎でオレンジ色に染まっていて、だんだんそのオレンジ色がこっちに迫ってくるような恐怖を覚えたそうです。
翌朝、登ってみると黒い煙が立ち上っているのが見え、夕方三たび登ると丸一日以上経つのに相変わらずオレンジ色の空だったのだとか。
「太平洋戦争にも出征して恐い思いをしたけど、幼い頃に感じた恐怖はジジイになっても忘れられない」と、酒を飲むとよく話してくれました。



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テレビやラジオの無い時代、情報は新聞や口頭で伝播しました。
小学生の伯父さえ漠然と感じるほどの恐怖によって、大人たちの間でデマが流れ集団ヒステリー状態に陥ってしまったことは想像に難くありません。
不幸にも偽(ニセ)の情報に踊らされた人々が、朝鮮人を襲うというとんでもない事件が起きました。
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「爆弾を持って日本人を襲う気だ」などの何の根拠もないデマが流布したのがきっかけだったそうです。
群馬では「藤岡事件」という悲劇が起きます。
普段はごく普通の優しい一般人が熱病にうなされたかのように暴力に走り、集団リンチによって弱者をなぶり殺してしまう―――
本当に恐ろしいのは震災より「人間そのもの」なのかもしれませんね。



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藤岡事件慰霊祭



関東大震災の2年後、ラジオ放送が東京と大阪で始まります。
震災を経験して情報の大切さを身をもって知った人々、、、 放送開始からわずか1年半で、聴取者数30万という爆発的な普及となったそうです。
歴史に「もし」はありませんが、ラジオの普及がもし震災より前で、人々が確かな情報を得ることができていたなら「デマによって人が人を殺す」などという惨劇は回避できたかもしれませんね。



あれから100年、情報通信網はものすごい勢いで進化を遂げました。
火ノ見櫓に登っていた少年と同じ年頃の子どもは、その手の中にスマホというIT端末を持っているのです。
東京どころか、世界中の出来事を瞬時に、しかも映像として知ることができるのです。
草場の影で大伯父も玄孫の姿に驚いていることでしょう。



あと2週間足らずで、関東大震災から丸100年を迎えます。
大きな節目です。
私たちは、防災、情報、心理などあらゆる分野で今一度、きちんと関東大震災を学ぶ時なのでしょう。

ITの普及は、正しく取り扱わなければ、デマも一瞬で拡散する“両刃の剣”。

「物」と「心」、両面で備えることが防災の基本と心得ましょう。








posted by るしあん at 20:24| Comment(0) | 日記
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