2024年02月05日

保護経済


私が卒論に四苦八苦していた頃、かれこれ40年程前のことですが、当時の日本の産業は「日本丸」と称される護送船団方式の保護経済でした。
対外的に経済力を高めるために、政府による関税保護や自由取引を規制する法などがありました。
特に、農業においては『食管法』(食糧管理法)という有名な法律がありました。

「保護という名のもと行き過ぎた管理は農業の発展の邪魔になる」というのが農家で育った私の持論でしたので、卒論の基底にあったのは食管法の撤廃でした。
そのせいなのかはわかりませんが、就活で受けた農業系金融機関の内定はもらえませんでした。


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『食管法』とは、「国民の食糧の確保および国民経済の安定を図るため、食糧を管理し、その需要・価格の調整、流通の規制を行うことを目的とする」法律なのです。
制定は1942年(昭和17年)。
そもそも、この法律は「戦時下」における食糧管理が目的だったのです。
それが、戦後も延々と続き、政府は「第一次産業従事者の生活を守る」というアメに使い、農業団体や漁業団体の“票集め”に利用しました。
うちは昔から稲作、養蚕を主とした農家でしたが、米の生産量は厳密に割り当てられ、作る面積を減らされる年(減反)は補助金がもらえました。
休耕して草の伸びた田んぼを見た時などは、子供心になんで作っちゃいけないんだろうなんて思ったものです。
政府の行き過ぎた管理に疑問を持った秋田八郎潟のあるコメ農家が減反せずに美味しいコメを量産。
独自の販路で販売しようとしました。
それを許さない某団体は、幹線道路につながる農道を封鎖。
コメを積んだトラックが八郎潟から出ることを邪魔したのです。
監視の目を盗んで夜中に搬出するなどの攻防戦が繰り広げられたのです。
そう、ホントまるで、“共産主義国家”かよっ!って感じ。



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百姓が丹精し、試行錯誤してどんなに美味しいコメを作ったって、政府が値段を決めているので生産者独自の価格を付けることができないのです。
結果、味の向上を目指すモチベーションは失われ、品種改良は遅れます。
決められた面積で少しでも多く作ろうと化学肥料などの農薬に頼ります。
信じられないかもしれませんが、一昔前までは、自分ちで食べるコメ、野菜は、出荷用とは別の田畑で無農薬で作る農家もあったんですよ。



そして、1995年(平成7年)11月1日、ようやく、この『食管法』は廃止となったのです。
卒業してから10余年、廃止が採決された時は、不採用にした面接官に「ざまあみろ。これでどっちが正しかったかわかったんべ」と本気で言ってやりたかったなあ。

昨今はコメ余りの状況が続いています。
パン食の増加、健康志向の変化などから日本人の食生活が変化したことが要因ですが、生産者は「味の差別化」など努力して需要を喚起しています。
近年、「新しいブランド米」が増えましたが、それが理由のひとつです。
稲作における“自由経済下の技術革新(イノベーション)”と言えるかもしれません。

海外への販路拡大などの需要を拡大することで、需給バランスの健全化を図ることも選択肢のひとつかもしれませんね。
“補助金をばらまく”ことじゃなくて、こうした海外戦略こそが政府が援助すべき“農業保護政策”だと思うのですが、、、



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戦時下の法律が平成になって廃止なんて、センセイ達の感覚は庶民とかけ離れているのでしょうね。
民法の規程も、ジェンダーやダイバーシティなどの社会的動向を踏まえて、時代に即したものへと、少しずつですが、改正が進んできています。



「古き良き日本」と「時代の流れ」にどう折り合いを付けていくのか、、、
センセイ達は既得権益にしがみつくことなく、新しい時代を見据えることができるのか、、、




孫たちには、借金じゃなく“いい時代”を残してあげたいものです。








posted by るしあん at 20:34| Comment(0) | 日記
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