2025年02月01日

無常


私がもし作家だったなら、ブログをまったく更新していない今の状況を“筆を折った”とか“スランプ”とかいうんだろうか……

昨秋、父を亡くしてからというもの気忙しく日々の生活に追われ、パソコンの前にゆっくり座ってブログ書く時間があまり取れませんでした。
年末には大切な親戚を亡くしてしまい心に空いた穴が益々大きくなっています。
享年63才。私と同い年の方でしたのでショックも大きかったのです。
忙しさというより、むしろ喪失感からか、書く気になれなかったというのが正直なところかもしれません。

年末だったもので飛行機もホテルも予約が取れず葬儀告別式に駆けつけることも叶わず、年が明けてから忌中見舞いに行ってきたのです。
遺影、遺骨にさようならを告げてようやく逝ってしまったことを実感できました。
遠くに住んでいるからこそ、遊びに行けばいつでもまた一杯やれると思ってしまい、訃報が届いてもどこか現実のこととして受け止めることができていなかったのです。



落語の世界では、
「人間なんていうのは、煙草(タバコ)といっしょで、煙になってから“味わい”が出るもんよ」
なんて言われますが、、、
失った悲しみは、故人の魅力(味わい)に比例して大きくなるのかもしれませんね。



万物はいつも流転し、変化していきます。
消滅は絶えないのです。
時に、「諸行無常」とは「諸行無情」じゃないかと思える程、運命を嘆きたくなる事が起きます。
「いつもの当たり前」は決して恒常ではなく刹那であることを心に留めておくことが大切なのでしょう。
そうすれば、いつもの何げない日常さえも愛おしく感じられ、毎日を大切に生きるようになるのかもしれません。

私は、この数ヶ月、就寝時に「今日は一日を無駄に過ごさなかっただろうか」と自問しています。
若い頃はそんなこと露ほども考えたことなかったのに、、、
老いた証拠なのかなあ、、、



家族や友人、お世話になっている(或いは、お世話になった)知人には、伝えられる時にはいつでも感謝の気持ちを伝えておくべきなのかもしれませんね。





「上毛かるた」で育った私は「百人一首」はまったくわからないのですが、そんな私でも最近、和泉式部の歌が心に沁みます。



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posted by るしあん at 21:18| Comment(0) | 日記
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