昨日は週末に休業してしまい、ご来店を予定されていたお客様にはご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。
おかげさまで無事、亡父の一周忌を執り行うことができました。
台風はどこへやら、雨を心配していたところ今季一番の猛暑に見舞われ、コンクリートと墓石に囲まれた墓地は車外温度計が43℃を指していました。
高齢の伯母さまには車の中で手を合わせていただきドライブスルー墓参となりました。
地球温暖化ならぬ沸騰化を実感する法事となりました。
原爆忌、御巣鷹尾根、盆、終戦、、、そして父親の命日と、8月は祈りの日々が続きます。
以前、誰のコラムだか忘れてしまいましたが、心に残る文章が綴られておりました。
それは、家族を亡くし悲しみに打ちひしがれた方へのメッセージでした……
『家族を失うと深い悲しみに襲われます。
この大きな悲しみの正体は喪失感なのです。
人は、親を亡くすと「過去」を失います。
そして、配偶者や恋人を亡くすと「今」を失い、
子どもを亡くすと「未来」を失います。
大切でかけがえのないものを失った心の寂しさ、虚無感、喪失感によって悲しみが押し寄せてくるのです。
心に空いた大きな穴はいずれ時が癒してくれます。
どんなに深い悲しみであっても、一歩ずつ前に進んでいけば、少しずつですがその悲しみは和らいでいくのです。』
父親が亡くなり、早いものでもう1年。
忙しない日常を送るうちに悲しみは少しずつ癒えてきたのですが、それと反比例するように後悔が大きくなってきました。
あの施設に入れなければ怪我して痛い思いをさせないで済んだのではなかろうか。
あの病院に入院させなければ、もっと適切な治療で、もう少し長生きできたんじゃないだろうか。
先に旅立った母のお葬式に、認知症が進んでいたとはいえ、ちゃんとさよならをさせてあげた方がよかったんじゃなかったろうか。
私の選択が間違っていて父親につらい思いをさせてしまったのではないかなどと、いろんな考えが頭の中をグルグル回ってしまって、、、
昨日は、お焼香しながら、「親不孝な息子で悪かったいのう」と謝ってきたのです。
そして今日8月3日は私にとって、また別の喪失感が押し寄せる日でもあるのです。
静かに、平穏に、、、
祈りの八月が始まりました――