2025年08月11日

40年


本県上野村御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落したのは1985年8月12日のこと。
私はその時、青年団の仲間と町内の喫茶店で夕飯を食べながらおしゃべりに興じていました。
ニュースを見ていた茶店のママが「JALの飛行機が行方不明になっているんだって」と教えてくれたのです。
この時はまだ、その後に国じゅうが大混乱する事態になるとは思いもしませんでした。
最初は小石を投げ込んだような小さな波紋が、どんどん大きくなって、やがて国を揺るがす大事故が起きたことを知ることになったのです。
国や報道各社、JALの混乱ぶりは映画「クライマーズハイ」に描かれた通りです。



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あれから40年の歳月が流れました。
残された家族の高齢化が進み慰霊登山に訪れるのが困難な方も増え、代わりにお子さんやお孫さんなどの世代が来てくださっているそうです。
ご遺族にとっては大切な人を事故で突然亡くした悲しみは40年が経っても消えることはありません。

今日の地元紙によると、救助に当たった方々も高齢化が進み鬼籍に入った方も少なくないそうです。
私の従兄は自衛隊員で12師団だったのですが、救助隊として山中に入りました。
その従兄は20年前に定年退職をしたのですが、今では当時を知る自衛隊員はほとんどが定年を迎えて残っていないそうです。
墜落現場は凄惨を極め、目にした光景は話すことが憚(はばか)れるそうで、今でも当時の様子を話すことはありません。



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今、機体の残骸の一部は日本航空安全啓発センターに展示されています。
機体保存を求める遺族や柳田邦男さんら識者の提言により、2006年から職員研修施設として開設されました。
毎春、JALの新入社員たちが御巣鷹山に慰霊登山を兼ねて安全研修の一環で来県してくれています。
JALも自衛隊員同様に墜落事故に関わった社員の定年が進んでいます。
航空関連各社には、JAL123便の墜落事故を風化させることなく「空の安全」の確保に尽力してほしいと思います。



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JAL123便の墜落事故に関しては、ネットで様々な“都市伝説”まがいの“陰謀論”が飛び交っています。
閲覧数稼ぎのフェイクなど遺族の心情を逆なでするような物まで散見されます。

どうか、明日12日は静かに亡くなられた御霊の安寧を祈ってほしいと願います。









posted by るしあん at 23:40| Comment(0) | 日記
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