2025年08月22日

大きな風呂敷のはなし


今春からNHKの番組を見ていると番組タイトルに「放送100年記念」のロゴが加えられたものが多くなっています。
日本の放送が始まったのは関東大震災から2年後、1925年3月22日のこと。
NHKの前身である東京放送局のラジオ放送で始まったのです。
振り返れば一昨年の防災の日(9月1日)には各TV局とも関東大震災100年の特集番組を流していましたね。
映画「福田村事件」も大変話題になりました。

1世紀前の最初の放送は、アナウンサーの第一声のあと、海軍の音楽隊の演奏で始まったそうです。
続いて、東京放送局総裁の後藤新平氏があいさつ。
後藤はあいさつの中で、ラジオについて「文化の機会均等」と語り、国民が皆、等しく情報を共有できる機能があることを説きました。
これは、関東大震災において、流言飛語などが原因で、適切な避難ができなかったり事件が起きて社会が大混乱したことが念頭にあったからだそうです。
正確な情報を誰もが等しく得ていれば、被災で命を落とす人が少しでも減らせ、また、デマによる“朝鮮人虐殺”などの悲劇は起こらなかったという強い思いの表れた挨拶でした。



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後藤新平は名言をいくつも残しています。
もしかしたら、名前は知らなくても名言の方は知っているという人もいるかもしれませんね。
代表的なのが、
「財を遺(のこ)すは下、
仕事を遺すは中、
人を遺すを上とする」。
ビジネス界隈では社員教育の手本として紹介されることが多いので知っている人も多いのではないでしょうか。
後藤の口グセは「一に人、二に人、三に人」だったといいますから、人材育成の重要性を強く認識していたことがわかります。



ラジオ放送の立ち上げに大きな役割を果たした後藤は、元々はお医者さま。
大震災の際は自らも被災しながら医師として懸命に救助に当たりました。
そして医師でありながら政治家としても活躍し、関東大震災からの復興に尽力したのです。
現在の東京の礎(いしずえ)を築いた人物と言っても過言ではありません。

後藤は日本が危機に陥るたびに誰もが驚く壮大な計画を打ち出し、未来を切り開いていきました。
付いたあだ名は「大風呂敷」。
しかし、今の口だけの小っせえ政治家と違って、後藤は広げた風呂敷をちゃんと実行してきました。



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今の閉塞した日本には後藤のような未来を見据えた妙案を有言実行する政治家が必要なのでしょうね。
昨今の政治の体たらくを見るにつけ、若い人たちが“手本”としたくなるような政治家は誰一人としていないですもんね、、、


もし明日、南海トラフ大地震に襲われたら日本の政治家では舵取りができず、かわぐちかいじの漫画「太陽の黙示録」のように北日本(ノースエリア)を中国に、南日本(サウスエリア)をアメリカに分割統治されるようなことにもなりかねない!?


くわばら、くわばら、、、









posted by るしあん at 22:42| Comment(0) | 日記
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