2025年08月29日

鍬を楽器に持ち換える


私がオーケストラの演奏を生で聴いたのは半世紀以上も前、小学校の移動音楽教室のことでした。
群馬交響楽団のみなさんが学校を巡回してくれクラシックに触れることができたのです。
当時は体育館なんてものはありませんでしたから、講堂に2学年ずつ入って“入れ換わり制”の演奏会だった記憶があります。
大きな講堂ではなかったので、おそらくフルオーケストラではなかったのでしょうが、迫り来る音の迫力に感動したことは今でも覚えています。

先日はるしあんのお客様がクラシックコンサートに行かれたそうで、、、
某有名交響楽団の夏休み定演だったそうで、聴き覚えのある有名な曲ばかりが演目になっていたそうです。
ただこのコンサートの面白いところは、演奏の前にテーマとなっているフレーズだけを先に聴かせ「このメロディーが繰り返し登場するので探してみよう」とか、作曲者の生きた時代背景やどんな思いで書いた曲かを紹介するのだそう。
子どものために行ったコンサートなのに大人の自分たちが大満足できたそうですよ。
実際に、ベートーベンの「田園」の時は“田んぼの畦に立ち物思いに耽るベートーベンの姿”が頭に浮かんだとか。

お客様の話しを伺い、私もそんな楽しいコンサートに行ってみたくなりました。



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作家など文化人には音楽を愛する人が多いといいます。
宮沢賢治もそんな一人。
賢治は、農民楽団の結成を夢みていました。
「農民芸術概論綱要」で、農民こそ芸術を作るのにふさわしいと論じています。
コメや野菜など様々な“命の源”を作りだす百姓は、芸術にある“創造性”や“ハーモニー”に通ずるものがあるのかなあ、、、
百姓のはしくれである私も演奏者としての素養があるということなのか?

そういえば、以前、ある心理学者が言っていたのですが、「農民にはストーカーはいない」そうですよ。
自然相手の仕事ゆえ、酷暑や大雨、水不足など人の力が及ばないことを経験から学んでおり「諦(あきら)めることを知っているから」なんだそう。
まあ、、、でも、、、田んぼの土手に腰をおろし、しょうもない下ネタを連発しているおじいちゃんたちを見ていると、“芸術”も“諦め”も両方とも当てはまらないと思うんだけどなあ。



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話しを宮沢賢治に戻します。
賢治の思想に感銘を受け、北海道余市町では本当に“農民オーケストラ”を作っちゃった人がいるのです。
幼少期にバイオリンを習ったことがあるなど楽器演奏の経験がある3人の脱サラ農家が発起人となって「農民オケ」が結成されたのです。
趣旨に賛同する人が道内から集まり今や60人のフルオーケストラに育ちました。
北海道では長く厳しい冬が続き農作物を育てられないハンデを逆手にとって、農閑期を練習に充てて上達していきました。
30年前の初演は、宮沢賢治に敬意を表しベートーベンの「田園」を披露しました。

メンバーは言います、「農業は大地を耕す。音楽は心を耕す」。
な〜んか、カッコイイですよね。

私の場合は、畑は酷暑で乾き、心はカサカサにヒビ割れています。
六十の手習いじゃチョット遅いけど、私も何か心の栄養になることを始めようかなあ〜。

さあて、鍬を何に持ち換えようか?



賢治は綱要にこう記しています。
――われらの前途は輝きながら険峻である――



このブログを読んでくれている貴方へ。
人生、困難なことは多いけど、あなたの未来はきっと輝いていますよ。




※険峻(けんしゅん:山などが高く険しいさま)











posted by るしあん at 23:38| Comment(0) | 日記
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