2026年02月15日

スポーツと政治


ミラノ・コルティナ冬季五輪は早くも半分の日程を終えました。
日本選手の大活躍に心躍ります。
一昔前は“日の丸を背負う”責任を過度に感じて悲壮感漂う顔で試合に臨む選手もいましたが、今は“競技を心から楽しんでいる”様子で、テレビ中継を楽しく見ることができます。
応援している私たちの方が逆に元気をもらえます。
また、アスリートたちは若いのにインタビューの受け答えもしっかりしていて、孫や子の世代の子たちに尊敬の念すら覚えます。
世界のそこかしこで戦争や紛争はあってもスポーツはそんな軋轢やわだかまりを吹き飛ばすパワーがあることが実感できます。



それだけに、フィギュア団体では日本の演技時に選手全員が退出した某国のふるまいは残念でした。
他国選手をリスペクトしてその演技を見守るというのが、団体戦の暗黙のルールでありマナーだそうですが、、、
そんなスポーツマンシップの欠如が、自国の民度の低さを露呈し世界に恥を晒すことになることが解からないのかなあ。
10億を超す人口の中で代表に選ばれること自体、もの凄く栄誉なことなのに、自らを貶めるなんて実に勿体ない。
まずは「恥を知る」ことを学ばないと。



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今朝たまたま点けたテレビで日曜報道という民放の情報番組をやっていたのですが、オリンピックでの政治的パフォーマンスの是非について語っていました。
軍事侵攻により命を落したアスリートの顔写真をプリントしたヘルメット使用について取り上げていたのですが、、、
出演したコメンテーターは“表現の自由”を論拠に、競技中以外は選手の政治的アピールは認めるべきだと熱弁していました。
「あ〜、この人はこの選手に寄り添うような素振りで、某国の嫌がらせのようなふるまいを認めているんだなあ」というのが透けて見えて、なんとも不快で暗澹たる気分になってしまいました。



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私が大学生の頃、冷戦下でのオリンピックで西側ボイコットというのがあって、その4年後に東側が報復ボイコット。
スポーツの祭典が政治に翻弄される出来事がありました。
同窓生には日本を代表する選手もいたのですが、彼等はアメリカに追従した日本政府の決定を受けてとうとう五輪出場の夢は叶うことはありませんでした。
大学でも予定していた応援イベントが中止に追い込まれ、みんなガッカリしたのを覚えています。

歴史を遡れば、ナチス人種政策、ハンガリー動乱、スエズ危機、南ア・アパルトヘイトなどの政治的理由からボイコットは度々起きていたのです。
前述の報復ボイコットを受け、あらためて五輪憲章の意義が再確認され「オリンピックは『平和の祭典』である」ことが世界で認識されたのです。



“表現の自由”の名の下、政治的アピールを何でも許してしまえば、歴史の反省からせっかく平和の祭典であることを共有できたのに元の木阿弥になってしまうおそれもあります。
今回のヘルメットの件はIOCとしては代替案として「黒い腕章を付けて弔意を表す」ことを提案しましたが、結果として選手側は受け入れず失格、スポーツ仲裁裁判所に提訴したのでその裁定を待つことになりました。
私は個人的には、一方的な軍事侵攻により領土拡大を謀る相手国は断じて許せないし、理不尽に命を奪い五輪出場の夢を奪った奴等を許せません。
しかし、冷静に考えてみれば、兵士でもない相手国選手の動揺を誘いかねない政治的アピールは本当に正しいのだろうか。

先のコメンテーターのように「競技中じゃなけりゃ何をしても構わない」なんてことを許していたら、かつてあの国が選手村に反日の横断幕を掲げて世界の笑い者になりましたが、あんな愚かな行為を容認することになるのです。



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さてさて、貴方は“オリンピックの政治利用”をどのように考えますか?












posted by るしあん at 23:18| Comment(0) | 日記
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