かのヘレン・ケラーはエッセーの中でこんなことを書いています。
親友とのあるエピソードについてふれているのですが、、、
ある日、親友と郊外に出かけたケラー。
親友は森に散歩に出かけ、ケラーは部屋で待っていました。
1時間ほど経った頃でしょうか、親友は帰ってきました。
ケラーは尋ねます、「ねえ、何を見たの?」。
期待に反して返ってきた答えは「特に何もなかったわ」。
彼女はこの時の気持ちをこう綴っています――
私が森を歩くならきっとこうするわ。
森の木々をさわるの。
触れるだけで、きっと何百もの興味深いものを見つけることができる。
白樺に触れればその滑らかな肌がわかるわ。
松に触れれば粗い樹皮。それを愛情を込めてなでるの。
人は、、、
見える人は何も見ず、聞こえる人は何も聞かない、、、
そして――
私がもしこの目が見えたなら、どこかよその地を訪ねた時には、まず初日に森を散歩したいわ。
自然の美しさに目を奪われ、土と寄り添って暮らす人々の穏やかな姿を見るの。
そして、私は、夕焼けの輝きに向かって祈るでしょう。
最も美しいものは、心で感じなければなりません。
1880年、アメリカ・アラバマ州で生まれたヘレン・アダムズ・ケラーは、1歳7カ月の時、原因不明の高熱に襲われ、光と音を失いました。
アン・サリバン先生と出会って読み書きを学ぶ姿は、国語の教科書に載っているので日本人なら皆知っています。
まんが偉人物語を読んだ人なら、アメリカの偉人と言えば、ほとんどの人がワシントン、エジソン、ヘレン・ケラーと答えるのではないでしょうか。
視覚と聴覚を失いながらヘレン・ケラーは福祉活動に尽力し、講演に訪れた国は約40カ国にのぼりました。
障害者教育や平和運動を訴える傍らで自然を愛することを忘れなかったそうです。
彼女の言葉は、私たちの心に訴えかけてきます。
――見える人は何も見ず、聞こえる人は何も聞かない。――
ケラーがもしご存命なら今のアメリカ社会をどう思うだろう!? 何を感じるだろう!?
温暖化に興味を示さず自然を壊すことに何の躊躇もないトランプ大統領。
ベネズエラに続き、イランを武力攻撃し、政治とは無関係の一般市民の無辜の命までを犠牲にするアメリカの邪悪な暴君に、どんな言葉を投げかけるのだろうか?
私たちは、血を流して倒れている人々を見ず、餓死する子どもを見ず、兵士が発砲するところを見ず、砲弾に逃げ惑う市民を見ず、、、
何も見ていない、何も見ようとしない、私たちは見えるのに――
私たちは、死んだ我が子を抱きかかえ泣き叫ぶ母のその悲痛な声を聞かず、寒さに震える子どもの呻きを聞かず、空襲のロケット弾の音を聞かず、鳴り響くサイレンの音を聞かず、、、
何も聞いていない、聞こうともしない、私たちは聞こえるのに――
ねえ、そこの貴方。
貴方は見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞く、本当にそれでいいの?
泉下のヘレン・ケラーが私たちに問いかけています。